日本の伝統的な横笛(龍笛・能管・篠笛)奏者 あかる潤の活動情報ページです。

日々邦楽 何日続くか!?

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日々邦楽 第27回

熊野、クマノのくまった話

前回は和歌の始まりの土地、八雲山の話題でした。
その八雲山からナビに表示されない小道を車で15分ほど進むと熊野神社にたどり着きます。熊野というと和歌山県の熊野大社が有名ですが、どうやらこちらのほうが歴史は古いよう。祭神は素戔嗚命の別名とされる櫛御気能之命です。
和歌山県にある熊野本宮大社の由緒は「崇神天皇の頃、大きな木に三つの月が降臨。当時土地を治めていた熊野連が「天上の月がどうして降りてこられたのですか?」と尋ねると「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)」とお答えになったので社を建ててお祀りしたということ。熊野連という一族の祖先は天孫降臨で有名な瓊瓊杵尊の兄、天火明命が祖先になります。
日本の神社は2000年以上の歴史があり政治と密接な関係があったので、色々な経緯を経て名前や由来が上書きされることが想像されます。和歌山と出雲にある神社は今でこそ名前は同じですが、当初は無関係だったのかなあーーなんて
日本の伝統芸能の歴史も同じ。私たちは1000年前の音楽も600年前の音楽も今の音楽も同時に聴き、演奏することができるので、ついつい類似性を言及しがちですが、ぎゅっとしてしまうゆえに勘違いしてしまうことも大いにあることに留意しなくては!

*お写真は出雲国の一ノ宮 熊野神社
2024年3月31日

 

日々邦楽 第26回

はじめて和歌を作った人だーれだ?

日本最初の長編小説は平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」です。
では一番最初の和歌は??
現存する日本最古の詩集である奈良時代に編纂された万葉集には宮中だけでなく一般人も歌を詠み、誰かに伝えていたことがわかります。
さらに古事記や日本書紀にも和歌とそれにまつわる逸話が多く収録されています。
確かな文献として一番古い古事記を紐解いていくと、最初に和歌が登場するのは素戔嗚命が八岐大蛇を退治し、出雲に鎮座することを決めたあたりで登場します。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
その時、ここはとてもすがすがしい場所だとおっしゃったので、「須賀」という地名が名付けられ、現在は須賀神社が祀られています。
須賀神社の奥社が八雲山。夫婦岩を右に曲がり、山道沿いに点々と設置された歌碑をたどりながら頂上までいく道が整備されています。
私も奥出雲に赴く時はつとめてお参りする場所。
他の場所より光が澄み切って、強く、本当にすがすがしい場所です。

*写真は八雲山山中にある歌碑 笛の歌があり一番お気に入りの場所です。
2024年3月30日

 

日々邦楽 第25回

道の駅、今も昔も

10日ほどかけて中国地方と四国を旅しています。
道の駅で停車して、シュウマイを手持ちのカセットコンロでじゅーじゅー焼いていたら
近くに泊まったワゴン車の方のみかんとぶつぶつ交換する流れに(笑
彼らは奄美大島は沖永良部島からいらしたようで、みかんも島の珍しい種のものでした。
恥ずかしながら私は奄美大島と沖縄の音楽を同じように考えていたので、
それは違うよーと教えていただきました。
今日は高知県の安芸市におりますが、地元の和太鼓をなさっているご婦人にみたことのない黄色い果物をいただきました。甘さと酸味のバランスが絶妙でまことにジューシー。私は明日これを淡路島の演奏仲間にお裾分けしようかな。
そんなふうに物や芸能は出会っていくのでしょうね。

2024年3月23日

 

日々邦楽 第24回

一音成仏で

尺八という世界でも大人気の和楽器があります。
こちらは禅などの仏教や山岳修行の法具でもあり、時代劇においては武器にも使用されている優れもので(笑)三曲合奏や現代邦楽においてはフルート、アルトフルートの音程であることから合奏でも重宝される楽器です。
これほどまでに世界に広まった理由として、演奏する時に精神性を重視することがあげられます。
過去の修練者や演奏者たちがたくさんの名言を残していて、なんだかとってもかっこいいのです。私の最初の先生もよく口にされていた言葉に「一音成仏」というものがあります。これは禅から由来するようですが、一声で仏になる、または聴いた相手を仏にする。仏とは悟りを得た境地とも考えられます。また、一音は別に円音ともいい、仏の声を現し、経文でもあり、また空だとか。
現代の私たちが耳にする音楽は、とにかく音数が多くて迫力もありますが、生演奏という観点からはかえって発生する音の力を弱めていないだろうかと思うことがあります。何かの災厄で電気が止まってしまったら、これらのほとんどの音は消えてしまうでしょう。
無音の中から、一つの音が生まれて、いろいろな人の音が重なって音楽になる。
そこに参画できる技術をもつことは精神的な災害対策になるかもしれないと
最近はそんなことを考えてます。

2024年3月7日

 

日々邦楽 第23回

天変斯くて止み嵐 后に晴れとなる

映画作品ではよく過去の巨匠の作品の名シーンを彷彿させる演出をすることがありますし、アニメ作品では過去の文学作品の内容をもじってさまざまなオマージュ作品が作られています。
全体的に取り入れる場合は「翻案」というようですね。
文楽(江戸時代の人形劇)の戦後の翻案作品に「天変斯止嵐后晴」があります。なんて読むんだろうと漢字クイズに出題されそうな表題ですが、これは「テンペスト嵐のち晴れ」と読みます。シェイクスピアの代表作「テンペスト」を翻案したものです。
魔法の島で繰り広げられる前ミラノ太公の復讐とナポリ王子の恋模様が繰り広げられる同作品はベートーベンの「ピアノソナタ第17番」やチャイコフスキーの「幻想序曲」でも題材とされています。
さて、件の文楽作品においてはミラノ太公は筑紫大領に、その息子は春太郎、恋のお相手は美登里。魔法は方術、妖精エリアルは妖精英理彦と置き換え。今のアニメが昔の歌舞伎や文楽だったのかなあと思いを馳せながら観劇しました。
音楽的は義太夫三味線という低音の三味線と十七絃という低音の箏を使い、珍しい世界観を存分に表現しています。


2024年2月26日

 

日々邦楽 第22回

浜千鳥の雑談

「浜千鳥」の過去の出典で有名なのは百人一首にある
「浜千鳥 通う千鳥の泣く声にいくよ目覚めぬ須磨の関守」です。

そこから長唄の歌詞にも「浜千鳥」は散見され、例えば「汐汲」という曲には「波を蹴立てて友呼び交わす 浜千鳥のちりやちりちりぱっと塩屋の煙さえ」とございます。日本の海の風景には欠かせないものだったのでしょう。
さて、日本酒の浜千鳥は釜石酒造さんの看板商品で、2003年には社名も浜千鳥になったよう。この酒造会社は大正12年、今から100年前に組織されたようです。
さらに日本神話においては、ヤマトタケルが埋葬された塚より白鳥が飛び立ったお話とともに「浜つ千鳥(ちどり) 浜よは行かず 磯づたふ」とあり、これは天皇家の葬儀の歌で通常は練習してはいけない曲として宮中に伝わっています。
「はーまーつちどりはーまよおおわあいかずーいーそづたうー」と歌うのですが、熱心に歌うとなかなかじーんとするメロディーです。
千鳥という学術名の鳥はありませんで、「鳥類チドリ科」という分類名があります。水辺などにいる小さな鳥たちを総称していたようです。
家紋には「千鳥紋」というのがあってなかなか可愛らしいですよ。

2024年2月17日

 

日々邦楽 第21回

小狐丸という刀

長唄は「くるわー」とか「こいーのー」とか艶っぽい歌詞が多いので、キッズ向けにそういうの0な題材はないかしらと色々紐解いております。
「小鍛冶」(こかじ)という曲は、能から採用された曲。
平安時代の有名な刀工である三条宗近の伝説を題材にしています。
平安時代、一条天皇の守刀を作る命をうけた宗近は満足のいく刀がなかなか打てず、氏神の稲荷明神に祈願します。すると童子が現れて「私があなたの相槌をつとめましょう」(刀は二人の匠が互い違いに槌で鋼をかんかんして鍛えます)と言って一緒に刀をうつことになり、完成した刀は素晴らしい出来でした。童子は稲荷明神の化身でデフォルトは狐の姿なので、「小狐丸」と名付けたと云う。

「小鍛冶」はずっと能管です。最初は神様がどどーんと登場する感じ。そのあと秋も深い山の中でカンカンと長い時間刀を打ち合うシーンがあり、完成にむかうにつれて刀に神性がどんどん宿っていく様が吹いていて恍惚といたします。日本舞踊の所作では童子役がときどき狐のようにぴょこぴょこ跳ねるのが可愛いらしいです。

さて、小狐丸は現存する刀の様で、ネット検索してみたところ、なんだか知らないイケメンお兄さんの絵がいっぱいでてきました(笑)。今流行りの刀剣乱舞に三条宗近さんの刀が採用されているようで、小狐丸と三日月宗近はもはやネット検索で刀自体を探り当てるが困難なほどです。
最近は歌舞伎上演もありましたが、相性のよいメディア展開ですね。

2024年2月11日

 

日々邦楽 第20回

獅子と牡丹のこと

第20回、何を書こうか逡巡しているうちに1年経ってしまいそう(汗)
お正月は各所で獅子舞をさせていただいたり、昨年末からは某地域の獅子舞おこしに携わらせていただいているので獅子の小話をひとつ。

お正月やお祭りに登場する獅子舞は江戸時代に現在の葛西あたりで成立し、その後、関東の各地で演じられて独自に色々発展していきます。
昭和中期あたりは、働き盛りから子供の人口が多く、好景気でコンビニもなく、町内会が元気でしたから町単位で色々な獅子舞が成立していったようです。少子化の令和時代は後継者問題で皆様ご苦労が絶えないよう。
江戸を離れると東北、新潟、関西や沖縄に至るまで様々な獅子舞がありまして、どれがオリジナルかまったくわかりませんが土地の芸能や旅芸人からの情報をヒントにしたりして色々生み出されていったものと思います。

さて日本の舞台音楽の歴史からの獅子を考えますと
最初の文献上に記録があるのは聖徳太子が伝聞した「伎楽」の獅子だと思います。
そのあとの時代の音楽「雅楽」において、現在演奏されている曲に「獅子」はないのですが、能や歌舞伎の唄に「獅子団乱旋(ししとらでん)の舞楽のみぎん」ということばがあり、昔の雅楽の文献をみるとかつてはそのような曲があったそう。
能や歌舞伎音楽においては獅子と牡丹の花はセットになっています。
どちらも華やかですので着物や掛け軸の題材にぴったりですよね。
百獣の王の獅子ですが、中国の伝説によりますと虫にめっぽう弱かったようで、悪い虫によって体調をくずしてしまうとめっきり弱ってしまうようです。
そんな時は牡丹の露を飲むと治るそうで、これが獅子は牡丹のそばにいる謂れ。
歌舞伎音楽の獅子に関するお囃子の手組みでは露という手があったり、
長唄の歌詞には牡丹と獅子の歌詞がセットで記されるようになったようです。


2024年2月4日

 

日々邦楽 第19回

3つの「城ヶ島の雨」

雨がふるふる、の歌い出しで有名な「城ヶ島の雨」は大正2年(1913年)10月に北原白秋作詞、「どんぐりころころ」などで著名な梁田貞により作曲された楽曲が有名です。28歳の白秋は3つ下の隣家の若く美しい人妻との不倫騒動で収監され、人気も地におちて、、そして出獄後に当人と結ばれて三浦半島にて再起を図り始めた頃の作品です。(お相手もかなり小悪魔な性質のようで14ヶ月後には離婚しますが、、、)冒頭の絶望からの好転ぶりの詩情が曲にも反映された名作。三浦半島のご当地ソングとして今もなお愛唱されています。(私のイチオシは美空ひばりさんが1963年に歌われたもの「城ヶ島の雨」は他に2つの曲が書かれています。一つ目は「赤とんぼ」「ふるさと」で有名な山田耕筰が11年後の大正13年(1924年)に制作。
当時欧米で流行していたクラシック音楽の要素をふんだんに取り入れて、この詩じゃなくてもよくね?と思ってしまう曲に聞こえました。作曲年代は山田氏がN響の前身となる日本交響楽協会を設立した頃なので、世界と勝負したいという気負いに溢れていたからかもしれませんね。
 二つ目は橋本国彦氏によるもの。橋本氏は弘田龍太郎より一回り年下ですが、東京音楽学校でチェロを専攻し、作曲し、ウィーンに国費留学し、帰国後は母校で教鞭もとる。という点で似た経歴を歩んでいます。唯一違うのは戦時中に芸大の教授職であり、軍歌等を精力的に制作したため、公職追放の憂き目となったこと。心労がたたり46歳若さで胃がんで亡くなります。才能あふれた作曲家であり良き指導者だったそうで弟子として伊福部昭など素晴らしい作曲家を輩出しています。
フルートの一節からはじまる楽曲は、城ヶ島海岸の夜明けの雨から少し青空が見えてくる情景描写に優れた繊細な印象。特にフルートのパートの装飾音の指定が細かくあり、これは弘田龍太郎が芸大助手教授時代(橋本氏は大学生)に携わっていた日本音楽の五線譜化作業に何らかの関連があったからかもしれないと想像しています。
橋本国彦氏の晩年の代表作には日本国憲法発布を記念した交響曲2番という作品があります。驚くほど緻密、かつ日本の再興を願う情熱にあふれた作品で、零戦やその後の工業大国として成功する日本の礎を作った当時の人の力に圧倒されます。

2023年5月12日

 

日々邦楽 第18回

色の話いろいろ

海外のアニメ祭りや日本祭りで日本の神社の鳥居を描いた絵やオブジェが展示されたり巫女さんコスプレを拝見するようになりました。
そしてあるある。なーんか違うW。
これは赤の色の具合のせいだと思っています。

神社の鳥居は丹塗りとか朱塗りといって、硫化水銀に由来する辰砂の黄色味のある赤。巫女袴は緋袴ともいうので茜の根で染めた緋色に由来する黄色味のある赤。
手に入りやすい安い塗料や染料を使うと黄色味が少ない赤になってしまうのですね、、、日本の赤は、赤系、朱系、緋系、丹系、紅系と蘇芳、薔薇色、臙脂(えんじ)、茜色、苺色、真赭(まそお)など原料名に由来する色名があり、本当に情緒豊かです。

長唄や箏の舞台では緋毛氈というフェルトのような敷物をひいて金屏風。暗い、渋い、さみしい題材の曲の時は紺色の毛氈に鳥の子紙の屏風となります。

「色」がついた長唄の曲に『秋の色種(あきのいろくさ)』があります。この「色」は「いろいろな」の意味と「色恋」をかけていて、現代風に訳すると「秋のいろいろな草花と虫と恋バナのこと」ってなるかしら。意訳しすぎかW

2023年5月3日

 

日々邦楽 第17回

江ノ島は箏の島!?

鎌倉、江ノ島は日本三代弁財天で有名な島(今は橋でつながってます)。幼稚園の遠足の時に海岸で穴を掘り続けてそのまま水没しそうになった記憶がございます。これを墓穴と、、、
さて、江ノ島奥の院付近には箏曲山田流の開祖、山田検校さんの銅像が設置されております。先日国立大劇場で行われた山田流箏曲協会創立100周年記念では江ノ島神社の宮司様による祭事や銅像の元となった石膏像の公開やご流儀の方々による第合奏での「江ノ島」が演奏されたりと盛大でございました。
箏曲は元々は関西でさかんでした(八ツ橋のお菓子で有名な箏曲の開祖八橋検校も京都の方)山田検校は歌舞伎など唄が好きな江戸っ子の好みに合う箏曲を作ろうと考えて、唄中心の曲を次々と発表します。ちなみこの方は若くして失明されていますが、学者さんたちとの親交が深かったようです。自分で長い文献を読むよりも、友達が魅力的に紹介する物語ダイジェストの方が想像力が高まったりしますよね。
 源氏物語や平家物語、中国の故事に由来したストーリー性溢れる作品が後世もさかんに演奏されています。「江ノ島」は山田検校(1757-1817)が滞在した江ノ島の情景を歌い込んだものです。この歌詞と能楽の「江島」(欽明天皇の御代に海から島が現れて、そこの悪い龍神と弁財天が夫婦になっておちついたという話)を1835年に四世杵屋六三郎ががっちんこして「長唄・江ノ島」が作曲されました。ちなみ日本舞踊作品としても有名な「江島生島」は1714年頃の大奥のスキャンダルを題材にした別のお話。
山田検校の銅像は小山のような江ノ島の一番奥にありますから、辿り着くまでに階段を登ったり降りたり大変なのですが、一番最初の社から右に伸びた坂道がございまして、そこを登るとかなり近道だったりします。
ただ、宗像三女神のお社も魅力ですし、有料のエスカレーター(登り専用)もありますから、行きはがんばって階段を登って海の三女神と弁財天のお社を全部お参りして、銅像もみて、帰り道は奥津宮近くの海が見えるクレープ屋さんのテラスで生ビールを傾けて、おまんじゅう屋さんの手前を左にまがって近道して辺津宮までしゃっと降りるのがおすすめです。
急勾配が続くので歩きやすい靴でお越しくださいませー。

2023年4月30日

 

日々邦楽 第16回

蘭陵王のこと

蘭陵王(らんりょうおう)という曲は、一人で舞う雅楽の名曲です。
1500年ほど前(西暦555年頃)の支那大陸は南北朝時代という戦乱の世です。北斉の国の王子である蘭陵王長恭は才知武勇なイケメン。兵たちは彼の姿をみようとして戦に集中しないwので、厳しいお面を被って戦ったところ大勝利したという故事をもとに作られた舞曲です。
チイイイヒーチイヒーと鳥のように人差し指をくるくる回す手が多用されていて、かっこいいですが難しい曲の一つです。
10年ほど前になりますが、蘭陵王のイケメン具合を再現したくて、モデルもやっている友人を舞人に抜擢したことがあります。180センチくらいで長身細身の美女でしたから1970年代の少女漫画の世界から抜けでたような異様の蘭陵王。圧巻でした。どのジャンルにおいても舞人という方々はやはり心身ともに美しくないとね。なーーんて、ダイエットしよかなあ、、、

2023年4月29日

 

日々邦楽 第15回

コッペパン

最近ブームが再来しているコッペパン。
丸々していて見ているだけで幸せな気持ちになりますね。
歌舞伎座地下2階 食品雑貨「はなみち」ではコッペパンサンドウィッチが販売されていてとても美味しいのでおすすめです。
さて、このコッペパンですが、どうやら日本発のパンのようです。
戦時中の配給や戦後の給食で全国的に普及したそうで、名前の由来はクーポンパンともフランス人のシェフあるいは似た形のパンを指す言葉とも言われていますが、ボールペンのように和製のカタカナ語なのだそうです。
明治期に西洋人からパンの作り方が伝えられると、当時の日本人の職人魂が炸裂!あんぱんやドライイースト、国産イーストの開発と次々開発されたそうです。
私はドトールとのコラボをしている写真のお店が大好き。
何かご褒美したい時はここでこっそりパンと生クリームとコーヒーを頬張っています。

2022年12月29日

 

日々邦楽 第14回

花火のこと

数年ぶりの花火大会が再開して楽しみな夏になりました。
打ち上げ花火は日本特有という気がしてしまいますが、実は観賞用の花火はイタリア発とも言われているようで、日本では宣教師が往来した戦国時代頃から記録があり、徳川家康や伊達政宗も花火を楽しんでいたようです。日本の花火は球型、ヨーロッパの花火は筒型なので、大輪の花のような大きな花火の製造技術は日本が世界で一番のよう。誇らしいことです。江戸時代の人々は花火が大好きだったようで、『東都歳時記』には「5月28日、両国橋の夕涼み、今日より始まり、8月28日に終る。竝に茶店、看せ物、夜店の始にして、今夜より花火をともす。逐夜貴賎群集す」とその風情が記録されています。
しかし、火事になることも多かったので何度も禁止のお触れが出され、隅田川での花火のみを許可したことから現在でも有名な隅田川花火大会は実施されているとのこと。写真は上田の花火です。信州の花火は空気が澄んで、山に囲まれているのでドーンという音がとても美しく響きます。

2022年8月23日

 

日々邦楽 第13回

黒御簾のこと

歌舞伎や日本舞踊公演、時に新舞踊公演などを見ると、舞台の下手側に黒い格子窓のついた板があり、そこから太鼓や笛や鉦やいろんな音が聞こえてくることがあると思います。これは江戸時代に考案された、バレエ音楽などで言うところのオケボックスに相当するもので、数名の奏者が舞台の状況に合わせて効果音などを演奏する場所になっています。写真は国立大劇場のもので、大太鼓や鐘は常時設置されているようです。今はなき堅田喜三久先生のご用事で見学させていただいた時、舞踊家や演出家や演奏家やいろいろな人が訪れると演奏中でも先生は談笑しているので、大丈夫かなあとヒヤヒヤしたのですが、そこはさすが人間国宝。ばっちり計算していて一つもミスなく適切な音を演奏されていてびっくりしました。前方が窓になっていて舞台の様子が覗ける仕組みになっています。

2022年5月19日

 

日々邦楽 第12回

湯島天神と和太鼓のこと

法被を着て、ねじり鉢巻をして、威勢よく打つ太鼓。かっこいいですねー。
音楽やエンタメとしての和太鼓は半世紀くらい前から形が出来てきたので、日本の伝統芸能の中では一番若い部類に入ります。だから元気いっぱいなのかもしれません。
東京で活動する有名な太鼓団体に「助六太鼓」があります。
助六流打法と名付けた独特な斜め打ちのスタイルや、ぐるぐる人が回る四段打という技法はみていてとても華やかです。
この和太鼓が生まれたのが湯島天神境内。東京藝術大学も近くにありますから、
戦後なんとか存続できた同大学邦楽科の学生たちも参加していたようで、助六太鼓の代表演目である「白梅太鼓」や「祭り太鼓」を聴くと、当時、長唄の修練に打ち込んでいた学生たちの青春の賑わいが想像されます。

2022年4月30日

 

日々邦楽 第11回

キャベツと歌舞伎

一番好きな野菜は、「キャベツ」です。
もはや丸ごとかぶりつけるくらいの勢い。
※最近、自然派やら武闘派やらと誤解されてますので手作りサンドウィッチ写真でイメージ改善を図ってみました(笑)
さて、私の愛するキャベツ様は、古代ギリシャ時代から人に食されてきた最古の野菜だそうで日本に伝来したのはオランダ人により江戸期とのこと。1709年頃に出版された「大和本草」によると「オランダナ」として観賞用で広まったそうで、やがて「葉牡丹」という品種が作られます。この葉牡丹に縁あるのが江戸一の色男「花川戸助六」君であります。
長唄や市川家歌舞伎十八番で有名なこのイケメンさんは「杏葉牡丹の加賀紋付けたる黒羽二重に紅の裾廻し」と背中にキャベツがドッカーンと描かれた衣装を背負って登場するのであります。
今月26日に国立大劇場で共演させていただく助六太鼓さんの名称は「助六由縁江戸桜」が由来とのことで、キャベツ愛は「粋」に通じるのかしら。

2022年4月17日

 

日々邦楽 第10回

民謡と演歌の違い

最近はプロアマ問わず、歌の上手な方が多いですよね。
声がとてもしっかりしているなーなんて方は小さい頃に民謡を歌ってましたーなんてお話も結構耳にします。さて、民謡というのは「炭坑節」「最上川舟唄」とかその地域に伝わる作者不詳の古い歌を指すことが多く、じゃあ例えば「東京音頭」は民謡か?っというとどうかなーとなります。でも世間的には民謡歌手、演歌歌手の方がよく歌うので民謡カテゴリーで解釈されることが一般的かもしれませんね。
歌い方という点では、民謡っぽい歌い方は高い音を鼻にかけて斜め上に引き戻すように歌われている印象があるので、斜め前方とか上に歌う西洋的な歌唱法とは違いますね。こっちの方が喉を痛めることがなく、ニュアンスも自在につけられそうです。
歌詞について考えますと、旅の安全を祈るとか、日々の労働や営みを歌で弾みをつける感じの歌詞が民謡で、男女の色恋を描く詩が多いのが演歌、、、そうするとヨイトマケの唄はどっち?、、、文化というのは白黒つくものではないということで!

2022年4月16日

 

日々邦楽 第9回

打ち合わせの語源

今日は「打ち合わせ」ってよく言いますよね。
会議ということなんですが、なんで打ち合わせって言うんでしょう。これはおそらく音楽用語が語源ではないかと思います。
歌舞伎囃子のお稽古をするときに、大皷と小鼓はセットでリズムを担うことが多いのですが、それを大小打合と記載します。
相手の音やリズムに呼応して前に進んでいきます。
それが複数の人が膝を突き合わせて相談している様になったのではないかなと。

2022年4月15日

 

日々邦楽 第8回

私の笛の出身地

笛ってどこで売ってるんですか?
と時折聞かれます。
京都や浅草、広島や青森や、蒲田とか、いろーーーんなところで売ってます。
AMAZONでも売ってます。その話はまたいずれということで
私が昔からお世話になっているのは千葉県成東市の蘭情師です。
この方のお笛は裏側に十干干支などが記されていていつ、どんな技術で作ったかがトレーサビリティできるようになっています。
笛のメンテナンスや購入でお伺いする度に進化した笛をご紹介いただいて、本当に勉強になります。今では十干干支の改良も超えて、「蘭照」という銘柄のお笛になっています。

2022年4月8日

 

日々邦楽 第7回

江戸時代の椿

梅が香り、桜が咲いて、春爛漫ですね。コロナ禍で宴会はできませんが、美しい花を今年もたくさん見ることができました。そしてクリスマス頃からずっと街を彩っているのが「椿」です。木ヘンに春と書いて「私は春の花ですよ」と強めに主張しているにも関わらず、花の少ない時期に「寒椿」があるせいで、なんとなく冬の花かしらと考えてしまいます。江戸時代の音楽ではどのように記録されているでしょうか。1792年に初演された「長唄・手習子」は、とある春の1日に寺子屋という当時の学習塾から帰る娘さんが道草をしている様子を描いています。曲の最後の歌詞が「鳥の囀り、梢々の枝にうつりて風に翼のひらひらひら、梅と椿の花笠着せて着せて、眺めつきせぬ春景色」となり、今も昔も変わらずに梅も桜も椿も春を彩っていたことがわかります。

2022年4月7日

 

日々邦楽 第6回

海で笛を吹くのは

海岸で「○✖️さんのことが好きでしたあああああん」とか叫んだ青春をお持ち方もいらっしゃるかと思います。「海岸」は笛を吹くのに最適なのか!?ということでございますが、修行には最適、演奏会には微妙というのが回答でございます。だって風強いんだもん。強い音を鍛えるために大きく吹く練習にはなりますね。
写真は三浦半島でアートにエールを撮影を仲間とやった時のもの
風が強くで音どころか笛が飛んでいきそうでした、、、

2022年4月6日

 

日々邦楽 第5回

都風流と富士山のこと

富士山って本当に素敵なお山ですね。東海道新幹線や飛行機から富士山が見えた時のテンション、見晴らしのいい高台や山やビルに登った時はついついお姿を探してしまいます。江戸時代の人々も同様で、富士講といって富士山に登るためにみんなでお金を貯めたり、寺社仏閣の敷地内に富士山に見立てた小山を作り、陰暦6月にみんなで詣でるというイベントをやっていたようです。写真は東京護国寺境内の富士塚です。山頂にはちゃんと富士浅間神社が祭ってあります。私は国学院大学の試験でこの富士浅間神社の神様を答える問題が出て、それだけが解けなくて悔しかった歴女でございました。。
長唄「都風流」は1947年に作曲されました。戦後、急速に発展する東京からどんどん消えていく江戸の風流を描いています。冒頭が「これよりして お馬返しや羽織不二 ふじといえばつくばねの 川上さしてゆく舟や 芦間がくれにおもしろき」とあり、初夏の富士詣の賑わいが偲ばれます。

2022年4月5日

 

日々邦楽 第4回

和太鼓とお酒のこと

日本の伝統音楽やってます=日本酒好きそう
みたいなイメージがあるとよく言われます。ええ。日本酒大好きです。というか酒全般か、、、
日本の銘柄数は1万を超えるようで、名前がなんとも面白いですよね。
その中で太鼓って書いてあるお酒はあるかなーと調べたらあるわあるわ。
そして偶然にそのお名前で活動されている団体もあったりするのです。
「蔵太鼓」という福島県は喜多方の日本酒がありますが、これと同じ太鼓団体がありまして、なんと税務署職員で構成されていたりします。
財務省はかつては大蔵省って言いましたからね。
私も昔、共演させていただいことがあり、確定申告の季節にはみなさんのことをいつも思い出します。
漏れなくお酒が大好きな先生方でした(笑)

2022年4月4日

 

日々邦楽 第3回

鼓の紐は麻

歌舞伎やお能で利用する太鼓や小鼓、大鼓にグルングルン巻いてある赤い紐。
これは麻でできています。浅草のお店に買いに行きますと、
普通 とか とびきり とか 特上 とか選べます。
高い方が上質とされます。その基準は紐を作る際に用いる麻の長さが長い方が、凸凹が少なくて太鼓の皮を柔軟に動かすので良いそうです。
古来より日本では麻を着物に利用していました。木綿が流通したのは室町時代以降です。舟の帆が木綿で作られるようになってから、速度や方向変換が自在になったそう。古代の神様への捧げ物リストに「木綿ゆう」がありますが、これは当時の技術で出来るだけ精製した麻による布のことを意味します。

2022年4月3日

 

日々邦楽 第2回

国立大劇場七不思議(楽屋にお風呂編)

国立大劇場には銭湯がある!と風の噂がありまして、
確かにお風呂って書いてある引き戸はございますので、
この間の日本舞踊の会の時に突撃してみました!
わあ。本当に湯船にお湯が張ってある!!!!
歌舞伎や日本舞踊では顔だけでなく手足や首や背中まで白塗りするし、汗だくにもなるので、いつでも入れるように準備されているのでしょう。

温泉ではありませんがなかなかのお湯加減です。


2022年4月2日

 

日々邦楽 第1回

笛は桜でできている!?

平安時代の貴族たちが楽しんだ「雅楽」の横笛は、一番有名な龍笛の他に高麗笛と龍笛と神楽笛の3種類があります。一番長いのが神楽笛、短いのが高麗笛です。
神楽笛は宮中御神楽など日本由来の曲を演奏する楽器、高麗笛は朝鮮半島から伝わった高麗楽を、龍笛は中国大陸から伝わった唐楽(越天楽はここに含まれます)を演奏する時に使います。
材質は煤竹という燻した竹に歌口と指穴を開けて、頭を鉛と蜜蝋で塞ぎ、装飾と割れを防ぐためにカバザクラの樹皮を細く切ったものをぐるぐる巻いて、菅の中を赤い漆、外側を主に黒い漆で塗って仕上げます。
雅楽というとなんとなーく桜っぽいなーというイメージは楽器の素材から感じられるのかもしれませんね。
2022年4月1日